「犬は最高のパートナー」「犬は無償の愛を与えてくれる」――愛犬に対して、そして他の犬を飼う人に対して、このような言葉をかけ、共感し合うことも多いでしょう。
しかし、その耳心地の良い言葉の裏に、見過ごされがちな矛盾や、犬たちの尊厳に関わる問題が潜んでいるとしたらどうでしょうか?
この記事では、飼い主が愛犬に抱く感情、そして犬たちが飼い主に見せる行動が、本当に「無償の愛」と呼べるものなのかを深く掘り下げ、その言葉が持つ光と影について考察します。
「無償の愛」という言葉の甘い罠
多くの飼い主が、愛犬から「無償の愛」を受け取っていると感じていると思います。
確かに、家に帰れば満面の笑顔で飛びつき、どんな時も寄り添ってくれる犬たちの姿は、深い安らぎと幸福感を与えてくれ、この感情を「無償の愛」と表現したくなる気持ちは、よく分かります。
しかし、この言葉は時に、私たちが犬と築く関係性の本質から目を背けさせ、犬たちの置かれている現実を美化してしまう危険性をはらんでいることもわすれてはいけません。
飼い主の「与える」アピールと「無償の愛」の矛盾
飼い主は犬を飼う際、「この子を幸せにする」と強く願い、実際に多くの飼い主が、そのために多大な時間、労力、そして経済的なコストを費やします。
- 「最高のフードを与えている」
- 「高額な医療費も惜しまない」
- 「快適な環境を整えている」
- 「誰よりも可愛がっている」
こうした「与えている」という自負は、飼い主としての責任感や愛情の表れですが、その一方で「犬は無償の愛をくれる」と主張するのは、ある種の矛盾をはらんでいないでしょうか?
もし本当に「無償の愛」であるならば、そこには見返りの期待は一切ないはずですが、飼い主は犬にこれだけのものを与えることで、結果的に犬からの「癒し」「喜び」「孤独の解消」といった精神的な恩恵を強く期待し、実際に受け取っていると感じているのです。
これは、もはや純粋な「無償」とは言い難いのではないでしょうか。飼い主たちが「与えている」とアピールする行為は、犬からの「愛情」という見返りを引き出すための、無意識の投資になっているのかもしれません。
「支配」と「依存」の関係性の中での「愛」の問い
ペットである犬は、その生命のほぼ全てを人間に依存して生きています。食事も、水も、散歩も、住む場所も、医療も、そして繁殖の機会さえも、すべて人間のコントロール下にあります。
- 犬の自由を制限し、決められたルールの中で生活させる。
- 繁殖の権利を奪い、去勢・避妊手術を施す。
- 人間の都合でしつけを行い、特定の行動を覚えさせる。
これらは犬の安全と健康を守るために必要な行為ではありますが、同時に、飼い主は犬の生命と尊厳を大きく支配している、という側面があることも否定できません。
このような絶対的な支配と依存の関係性において、犬が飼い主に見せる忠誠心や親愛の情を、人間側の都合の良い解釈で「無償の愛」と断じてしまって良いのでしょうか?
それは、犬が生きるために私たちに順応し、特定の行動を学習した結果なのではないか?あるいは、私たちとの触れ合いによって犬の体内で分泌されるオキシトシンなどのホルモンによる、生物学的な反応の結果なのではないか?
人間が犬の命の全てを握りながら、「無償の愛をくれる」と語ることは、犬の主体性や感情を人間の都合の良いように解釈し、その関係性を一方的に美化しているようにも映ります。
「無償の愛」という言葉が助長するペットビジネスの犠牲
最も深刻な問題は、「ペットは無償の愛をくれる」という耳触りの良い言葉が、無責任なペットビジネスのキャッチコピーとして機能し、多くの犬たちの命と尊厳を犠牲にしている現実です。
この言葉が人々の「愛されたい」「癒されたい」という欲求を刺激し、ペットを「買う」という行為へと誘導します。その結果、
- 需要過多による無理な繁殖:営利目的で、犬たちの健康や福祉が顧みられない劣悪な環境での繁殖が横行します。
- 命を物のように扱う流通:遠距離輸送や不適切な管理により、多くの幼い犬たちが命を落とします。
- 衝動買いによる飼育放棄:安易に手に入れた結果、飼育の困難さに直面し、無責任に手放される犬たちが後を絶ちません。
「無償の愛」という美しい言葉が、これらの残酷な現実を覆い隠し、消費者の罪悪感を軽減させてしまっているとしたら、それは決して軽視できる問題ではありません。
飼い主たちが本当に目指すべき関係性とは?
「ペット(犬)は無償の愛をくれる」という言葉を鵜呑みにすることは、飼い主たちの自己満足に過ぎず、犬たちの本当の姿や、人間と犬との複雑な関係性を見誤る危険性があります。
大切なのは、犬たちが飼い主に見せる愛らしい行動を「無償の愛」と安易に決めつけるのではなく、犬という生き物の本質を理解し、彼らの尊厳を尊重することです。
飼い主は、犬が提供してくれる「癒し」や「喜び」に対して、命を預かる者としての最大限の責任と献身で応えるべきです。それは、「与えられる」ことを期待する関係ではなく、「共に生きる」パートナーとして、互いの幸福を追求する関係性であるはずです。
私たちは、安易な言葉の美化に惑わされず、犬たちの命を巡る倫理的な問題に目を向け、より良い共生社会を築いていく責任があります。
そのために、この「無償の愛」という言葉を再考し、犬たちとの関係をより深く、より誠実に問い直す時が来ているのではないでしょうか。
改善
青色マーカーも部分
躾してるじゃん
なつきやすく改良された犬がなついてるだけ。
余談
ハチ公など、そういった話もあるが、トリビアのような現実もある。

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