" /> 「ペット・動物との共生」を掲げるメディアに注意!ペット産業の仕掛けた罠 | シン・犬の十戒

「ペット・動物との共生」を掲げるメディアに注意!ペット産業の仕掛けた罠

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ペットに関するサービスが増えてきたのに伴ってか、動物愛護精神からか、メディアやニュースなどで、「動物・ペット・犬・猫との共生」といった言葉を耳にする機会が増えてきましたよね?

テレビや雑誌、インターネットメディア、自治体の広報、さらには「犬・猫との共生社会の実現」を掲げて外国籍の芸能人が政党を立ち上げ(解散し)たことも話題になりました。

以下は、ここ最近目にしたほんの一例です。

・大阪万博での「人とペットとの共生の在り方を探る」イベント
・東広島市が「人と動物の共生条例」を制定 

・選挙公約「人と動物の共生社会動物愛護政策」
・「人とペットの共生社会の実現」を謳うペットケア製品を扱う某企業
・ペットとの共生事業をアピールするペットビジネス事業者

犬を愛する私たちにとって、「ペット・動物(犬)との共生」という言葉は、愛犬との満たされた日々や、社会全体が犬に優しくある未来を連想させますが、これらの例が、すべて同じ方向を向いているのかというと、どうも疑問が残ります。

本当に動物のため、そして社会のために使われているか?
ペットビジネスに利用されているのではないか?

私たちは、この「共生」という言葉を、自分たちの為に都合よく使おうとしている人たちがいること、また、社会全体にとっての本当の「共生」が置き去りにされてしまうことを危惧しています。

この記事では、「共生」という甘い言葉の裏に隠された真実を、考察していきたいと思います。

「ペットとの共生」は「ペットは家族」に続くマーケティング戦略か?

「ペットは家族」という言葉が一般的に用いられるようになった背景には、ペット産業が仕掛けたマーケティング戦略が深く関わっていると、多くの人が感じていることでしょう。

この言葉が都合よく広がってくれたことで、ペット産業が得たものは大きかったですよね。

・ペットに関する消費の拡大(高級フードや保険、関連サービスなど)
・保護犬が増える中、命を買うことへの罪悪感の緩和
・パピーミル問題などの悪いイメージを払しょく

直接的な消費だけでなく、生体販売の負のイメージを和らげる効果まであったのですから。

さらに、公共の乗り物からニッチなサービスまで、新たな販路を見出そうとペットビジネスに参入する企業も目立ってきました。

ペット(犬猫)の飼育数は、現時点で年々微減傾向にあるのに、ペット市場が拡大しているという事実が、ペットの家族化による経済効果が、いかに大きなものであるかを示しています。

そして新たに”経済効果を生む言葉”だと、認知されだしたのが「人と動物との共生」です。

「人と動物との共生」という言葉を仕掛ける狙いとは?

「ペットは家族」と同様に、「人と動物との共生」という言葉自体に悪い意味はありません。

しかし、それを発する人の目的が、ビジネスに繋がっていないか? 好感度を上げるための印象操作に利用されてはいないか?

その言葉の裏に隠された意図を見極めることが重要です。

なぜなら、その言葉は時として、社会を動物福祉を軽視する方向へ導くことさえありうるからです。

「人と動物との共生」という言葉の危険性

ペットは家族」という言葉は基本的に飼い主側の意識やアピールに留まり、犬を飼わない人々にとっては、多少煩わしく感じることはあっても、直接的な影響は少ないものでした。

ところが「人と動物の共生社会」という言葉になると、そうはいきません。単なる個人の感情や主張に留まらず、社会全体を巻き込む概念へと変化しているからです。

例えば、ペットツーリズムです。ペット同伴での公共交通機関の利用や宿泊施設の増加など、主に犬と行動を共にするためのサービスが目に見えて増えつつありますよね。

しかし、日本社会においては、特に人が多い場所で、犬を連れ歩くことへの抵抗感が根強く存在し、衛生面への懸念やアレルギーの問題などから、犬を飼わない人々からの反対や批判の声が上がることも少なくありません。

そうした時に、非常に“便利な言葉”が「ペット(動物・犬・猫)との共生」です。

この言葉は、あたかも社会全体で実現を目指しているかのようなイメージを伴い、反対意見を言いにくい雰囲気を作り出す力を持っています。

飼い主が喜び、ペットビジネス関係者が利益を得る。その一方で、ペットを飼わない人々にデメリットばかりが押し付けられるという結果に、なりかねないのです。

「共生」を口にするなら、その定義を語れ!

「動物との共生」は、私たちが真剣に向き合い、考えていくべき重要な社会課題の一つでもあります。

しかし「ペットとの共生」となると話は別。ペット飼育者たちからの一方的な発信であり、ペットを飼わない人々や、動物との関係性において異なる考えを持つ人々の視点が欠落しているように感じられます。

ペットとの共生」と「動物との共生」では、全く意味が異なるように、これらの言葉を発信するのならば、その具体的な定義についても明確に説明する責任があるのではないでしょうか。

依然として、産む機械にされている繁殖犬猫の問題は色濃く、売買の流通過程で一定数の子犬子猫が死に続けている現実があります。

そんなシステムも、それを利用する人も含めての共生ですか?

彼らが目指している共生とは、それらの犠牲を無視したペット文化の繁栄ではないですか?
動物に優しい社会ではなく、飼い主に優しい社会ではないのでしょうか?

もし本当に「共生」を目指すのであれば、命の誕生から死まで、そして人と動物の関係性全体を包括的に捉え、その言葉の裏にある具体的な意味と、そこに内在する課題を語るべきです。

動物が苦手な人や共生を望んでいない人も大勢います。
生体販売に反対する声は年々増えていっています。

都合の悪い部分に目を瞑り、利益を得るためだけに「共生」という言葉を使うことは、真の共生社会の実現とはかけ離れた行為であると言わざるを得ません。

人とペット・動物との真の共生とは?

真の共生には、動物の命と尊厳を尊重することが不可欠です。

まず最初に考えなければいけないことは、生体販売の「闇」にどう向き合うのかであって、ペット産業と飼い主が喜ぶサービスを広めることではないはずです。

無責任な繁殖、劣悪な環境での飼育、流通過程における幼い命への過度な負担、無責任な売買、そして去勢・避妊の倫理観について、真っ先に議論されるべきではないでしょうか?

命や尊厳を軽視する行為がまかり通っている社会では、「共生」も「動物に優しい社会」も、実現することはあり得ません。

人と動物との真の共生とは、すべての命と尊厳が尊重され、互いに安心して暮らせる社会の実現であって、飼い主とペットビジネス関係者だけが喜ぶ社会のことではないのです。

「共生」という言葉の裏にある真実を見極める

「ペットとの共生」「動物に優しい社会」――。素晴らしい言葉に聞こえますが、その言葉の響きに惑わされてはいけません。

なんとなく似た、この二つの言葉は、時として対照的な意味を持つこともあるのです。

ペット文化の深い闇には目を向けず、ただきれいごとばかりを並べ立てる発信者や、具体的な解決策を示さないまま理想論を語る発信者には、くれぐれも注意が必要です。

言葉巧みに「共生」を謳いながら、その裏で無責任な繁殖や劣悪な飼育環境が放置されたり、命が軽んじられたりしている現実があるならば、彼らが本当に目指しているのは、動物のためではなく、自分たちのビジネスの繁栄でしょう。

いくら愛犬を抱えて笑顔で犬への愛情を語ろうが、彼らの「本性」は、優しそうな姿や口から発するきれいな言葉にあるのではなく、彼らがどのような結果をもたらそうと行動しているかにあるということです。

もしその行動が、動物たちの苦しみや命の尊厳をないがしろにするものであれば、どんなに耳触りの良い言葉を並べても、それは偽りの「共生」に過ぎません。

私たち一人ひとりが、犬の命と尊厳を真に尊重する視点を持ち、安易な情報操作に流されずに、その言葉の裏にある行動と結果に目を凝らすこと。

それこそが、本当に「ペットとの共生」を実現し、「動物に優しい社会」を築いていくための第一歩となるでしょう。

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