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日本では犬は「モノ扱い」なのか?法律、矛盾、そして世界の現実を問う

インターネット上では、「日本の犬は法的にモノ扱いだ」「動物愛護後進国だ」といった主張が、しばしば感情的な議論を巻き起こします。

犬を愛する多くの人々にとって、この「モノ扱い」という言葉は、非常に強い拒否感を伴うかも知れません。

では、この批判はどこから来るのでしょうか?

そして、私たちは本当に、愛する犬を「モノと命あるものの間」で揺れ動いていないと言い切れるでしょうか。

本記事では、この主張の根拠となっている「法律上の扱い」と、飼い主側の行動に潜む矛盾を、事実に基づいて整理します。

動物愛護法では犬を「命あるもの」として位置づけてある

犬が虐待されたニュースなどを見て、こういった意見を目にしたことはないでしょうか?

日本の法律では犬はモノ扱いだ!犬を傷つけても器物破損だ!

しかしこれは誤りです。

動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)」では、動物を「命あるもの」と明確に規定し、みだりに殺したり傷つけたりすることを禁じています。

この法律に基づき、飼い主には適正な飼育、健康管理、そして終生飼育の責任と義務が課されており、これに違反した場合には罰則が適用されるのです。

第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、五年以下の拘禁刑又は五百万円以下の罰金に処する。

この観点からは、日本の法律は動物の福祉を重視しており、「モノ扱い」とは真逆の方向性を持っているといえます。

民法上「動産」としてモノ扱いである側面と現実的な理由

ではなぜ犬は日本の法律で「モノ扱い」されていると言われるのでしょうか?

その法的根拠は、財産の所有権や取引を定める「民法」にあります。

民法上、犬や猫は「動産」(モノ)として分類されます。これは、ペットショップでの売買、飼い主が亡くなった際の相続や贈与など、人間社会における財産としての管理を可能にするための現実的な枠組みです。

人間以外の存在を法律上「モノ」と同じ扱いをすることで、社会的な取引や責任の所在が明確になり、民法の仕組みが成り立っているのです。

なぜ犬をモノと同等の扱いをする必要があるのか?

犬を「モノ」として扱う理由は、法律が人間社会の秩序を保つための便宜的な分類に基づいているからです。

たとえば、犬を所有し、売買や譲渡を行うためには、財産権の対象として明確なルールが必要で、この分類がなければ、ペットショップでの取引や、相続時の財産分配、贈与契約などが法的に成り立たなくなります。

また、所有権をめぐる争いが生じた場合、法律上の責任や権利の線引きが曖昧になり、解決が極めて困難になります。

モノ扱いをやめて犬の権利を認めたらどうなるか?

もし民法で犬を「動産」として扱わず、「人格」や「権利」を認める存在とした場合、以下のような現実的な問題が山積みになります。

・売買の禁止とペット産業への影響
権利を持つ存在をお金で取引することは、倫理的・法的に問題となります。ペットショップでの販売、ブリーダーによる繁殖、親犬からの子犬の引き離し、オークションでの取引などはすべて禁止される可能性があり、ペット産業全体が成り立たなくなるでしょう。

・去勢・避妊手術の禁止
犬に「権利」を認める場合、人間の都合による去勢や避妊手術は、犬の身体的自由を侵害する行為として問題視される可能性があります。しかし、これらの手術は、過剰な繁殖や健康管理のためにも広く行われており、禁止されるとペットの健康や社会的な管理に影響が出ます。

・事故や責任の複雑化
犬に権利を認めた場合、交通ルールを理解できない犬が道路に飛び出し、事故を起こした際の責任の所在はどうなるのでしょうか? 飼い主、ドライバー、あるいは犬自身に責任を問うのか、保険の適用範囲も曖昧になります。たとえば、犬が他人を傷つけた場合、誰が賠償責任を負うのか、現在の「動産」扱いの枠組みでは飼い主が責任を負いますが、犬に権利がある場合、この線引きが困難になります。

・飼い主の責任と倫理的矛盾
「モノ扱いするな」と主張する飼い主は、もし自分の過失で犬を傷つけたり、死なせてしまった場合、どのように責任を取るつもりでしょうか? 人間の子供に対する虐待や過失致死のような刑事責任を負うべきなのか、それとも別の法的枠組みが必要なのか。また、ペットの飼育にかかる税金や、所有権に基づく財産税の扱いも複雑化します。犬に権利を認めるなら、税金の支払い義務や社会保障の適用も議論の対象となり、現実的な運用はほぼ不可能です。

・社会全体への影響
犬に権利を認めることは、動物全体の法的地位を見直す必要性を生じさせます。犬だけでなく、猫、家畜、野生動物など、すべての動物に同様の権利を与えるべきかという問題が浮上します。これにより、畜産業や動物実験、さらにはペットフードの生産までが影響を受け、社会全体の仕組みが根本から見直されることになります。

現実的なバランスとしての「モノ扱い」

民法上の「動産」扱いは、動物を愛し、尊重する気持ちを否定するものではなく、むしろ、動物を人間社会の中で適切に管理し、保護するための現実的な枠組みだといえます。

犬に「人格」や「権利」を認めることは理想的に聞こえるかもしれませんが、現行の法律や社会システムでは解決できない問題が山積みです。たとえば、動物愛護法では動物の虐待防止や適切な飼育が義務付けられており、犬の福祉は「モノ扱い」とは別の観点で保護されています。「モノ扱い」という言葉にはネガティブな印象がありますが、これは法的な便宜上の分類であり、犬への愛情や倫理的配慮を否定するものではありません。むしろ、現在の法律は、動物と人間が共存するための現実的なバランスを保つための仕組みなのです。

飼い主と法廷に潜む「モノと家族」の矛盾

私たちがペットに対して「モノ」と「家族」の間で揺れ動いている証拠は、法廷や飼い主の行動の中に散見されます。

1. 動物病院訴訟にみる矛盾

動物病院での医療ミスなどを理由に犬が死亡した場合、飼い主が数百万の慰謝料を求めて提訴するニュースがしばしば話題になります。これは、犬を「単なるモノ」が壊れた際の物的損害としてではなく、「精神的苦痛(=家族)」に対する賠償として認識しているからです。

しかし、現行法では犬は動産扱いのため、請求が認められるのは治療費や購入費などに留まることが多く、高額な慰謝料は認められにくい傾向にあります。この「訴えたい心情」と「法律上の壁」のギャップこそ、人間が抱える矛盾を浮き彫りにしています。

2. 飼い主の行動にみる矛盾

飼い主は、「愛ゆえに」愛犬に去勢・避妊手術を平気で行います。この手術には、ごくわずかな確率とはいえ、全身麻酔による死亡リスクが伴います。

  • 数百分の一の確率で死亡するリスクがある手術を「人間の都合(繁殖制限・健康維持)」で受容する。
  • 一方で、もしもの時の賠償には「家族を失った悲しみ」として高額な慰謝料を求める。

この「愛とコスト」の間に存在する矛盾こそが、人間が動物を「モノ」の側面も無視できない「家族」として扱っている何よりの証拠ではないでしょうか。

世界のペット先進国の動向:法的な位置づけの進化

「日本は遅れている」という批判の対比として、ドイツやスイスなどが「ペット先進国」として挙げられることが多くあります。

これらの国では、民法において動物を「物ではない」と明記し、動物愛護法とは別にその特殊な地位を認めています。しかし、その実態はどうでしょうか。

物ではない」と明記されていても、所有権は依然として認められており、売買や相続の対象になっています(ただし、不当な差し押さえなどからの保護は厚い)。つまり、「モノではない」と明文化しても、現実的な取引や所有関係は残るのです。

日本と海外の差は、「モノではない」と明記しているかどうかの法体系の構成の違いであり、一概に日本が「遅れている」と断じるのは早計だと言えます。

まとめと提言:これからの共生社会のために

日本は法律上「動産扱い」と「命あるもの」の二重構造にありますが、この構造は、所有・取引の現実動物福祉の尊重という二つの要請を満たすための現実的な仕組みだと言えます。

真の「ペット後進国」とは、法律上の分類に固執する国ではなく、人間の行動や価値観の中に、命よりも利益安易な手放しを優先する「モノ扱い」の精神が深く潜んでいる国を指すのではないでしょうか。

法律を批判するだけでなく、私たちは、愛するペットに対し「家族」として接している以上、全身麻酔のリスクを許容してまで去勢を行う責任と、終生飼育の義務を全うできているかを常に自問自答すべきです。

私たち一人ひとりの行動こそが、日本の動物福祉の真の姿を決めます。

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